数学は美しくなんかない

この際だから言い切りますが、数学は決して「美しい学問」ではありません。中心極限定理とか、Feit-Thompson の定理とか、Thurston の怪物定理とか、果ては Fermat の最終定理とか、結果だけ見れば美しいですが、その中身は、証明を追うだけでも軽く 1 〜 2 冊の本が書けるような、血と汗の滲むような先人の努力の結果なのです。先人達が泥まみれになってようやく探し当てた宝石のようなものです。
数学を学ぶとは、そういうことです。泥にまみれ、擦り傷だらけになり、時に行き倒れ、それでもなお歩き続け、「真理」と言う名の宝石を探しに行く旅なのです。*1生憎、私にはその覚悟が無かったので、先人達が見つけてくれた「宝石」を眺めながら悦に入ってるだけなんですけどね。
それに比べたら、語学は基本的に覚えるだけでいい。何となれば、必要最低限の文法くらい覚えておけば、後はわからない単語が出てきたら辞書を引けばいい。そうすれば、外国語の本が読めます。事実、そのつもりで、私も英語やらフランス語やらの数学書を数冊持っています。
ただ、語学は語学で十分面白い。言葉は、その国の文化を良く表しています。外国の文化を学びたければ、その国の言葉をまず最初に勉強するのが手っ取り早いかもしれません。
かくいう私も、実は英語は嫌いでした。暗記が苦手だったんです。しかし、一冊の辞典が、私を変えました。「コリンズコウビルド英語辞典」です。これは、ある単語が、どのようなシチュエーションで、どのような意味合いで使われるのかを、英語で詳しく解説している辞典です。日本の国語辞典に相当するものです。これが面白かった。「英語圏の人たちがこういう単語を使うときは、こういうことを考えているんだ !」というのがわかったとき、とても楽しかった。これで私の英語アレルギーは綺麗さっぱり消えました。もっとも、しゃべることは出来ませんけど。
話が逸れましたが、とにかく数学とはこれ即ち「茨の道」です。茨の道を傷だらけになりながら歩み続ける覚悟のあるものだけが、真の数学者となる資格を持ちえます。それでも、数学者を目指す人はいなくなることはないだろうし、いなくならないで欲しい。だって。

数学は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい
"The mathematics is not beautiful. Therefore, it is."

のだから。

*1:それに比べたら、受験数学なんて雑魚です、雑魚。