私信

遅くなりましたが、mathesis 様からコメントを頂いたので、この場でお返事。

数学の好きな子はどんどん先に進めばいいし、数学が嫌いなら、別に無理強いする必要もない。

「好きな子はどんどん先に進めばいい」という考え方には大いに賛成です。嫌いな子に、無理に知識を詰め込ませることも好ましいことではありません。ただ、出来なくてもいいから、投げ出さずに考えることを覚えて欲しい、と言う意味では、数学に取り組ませること自体は決して無意味ではないと思います。

数学の面白さは、答えではなくてそこにいたるアプローチだと思いますね。これは一つとは限りません。沢山あればあるほど面白い。
学校で教える数学がつまらない本当の原因は、考える余裕というものがないことにあります。結局のところ試験による出来不出来の測定がゴールになってしまって、そのゴールにもっとも早く到達する手段として、計算方法やら公式やらを覚えさせ誤りなくやらせるという機械的作業の習熟に堕してしまっていて、そもそも計算方法やら公式やらがいかにして出てきたのか追体験できないからです。単に言われたとおり計算するなんて面白いわけがないですよ。

これは全面的に賛同できる意見です。
例えば、球面というものをトポロジーで考えると、それは半径が違っていても位相空間としては同じものとみなせます。さらに言えば、別に球面でなくても、例えば楕円球(ラグビーボールみたいなの)の表面だと思ってもいいし、何ならば立方体の表面だと思っても構いません。しかし、微分幾何学の立場に立ったとき、これらは全て違うものです。このように、アプローチの方法が違えば、同じものに対してもそれだけ違った見方が出来るのが数学の面白さだと思います。

英語は覚えれば覚えただけ得なことがあります。
相手の言ってることを理解することができますから。

全くそのとおりです。英語は覚えることが主体ですが、その分、相手の言っていることが理解できたり、また、英語で書かれた文章の内容を理解することが出来たりする利点があります。それに対して、考えることが主体となる数学は、計算方法や公式を覚えること自体には何ら(と言うと言い過ぎですが)得はなく、むしろ結論にたどり着くまでの考え方を身に付けることが出来るのが利点だったはずです。しかし、

私は今の学校数学はちっとも思考能力を養ってないと思います。
だって考えさせる機会を与えないんですから。むしろ計算方法と公式でなんとかなるという悪弊が身に染み付いたおかげで、なんでもかんでも、方法論というものがあってそれを適用すれば全て解決できるという安易な期待を抱くようになってしまったと思ってます。

悲しい現実ですよね。